2017年12月05日
私のトイガン/サバゲー遍歴 はじめてのジュウ~中坊編
私もサバイバルゲームを初めてもう随分経つ。
中学生時代に地元の友人達とチームを組んでから計算すると、
31年やってる計算だ。
一つの趣味をこれだけ長くやっていられるのは幸せな事だと思う。
そんな事を思い出したのでちょっと私のサバゲー遍歴などを書いてみようと思う。
最初にトイガンを手にしたのは小学生の低学年の頃だろう。
私は小学3年まで横浜に住んでいて、その頃に
マスダヤのバッファローデタッチャブルを親戚のお兄ちゃんからもらった記憶がある。
その後にヨネザワのブローニングハイパワーや
ワルサーP38を買ってもらった。
ただこの頃はまだBB弾では無く、つづみ弾だった。
その後、ガンダムブームの頃に
マルシンのビームライフルのモデルガンを買ってもらった。
これが初めての火薬式のモデルガンになった。
BB弾のトイガンは始めに何を買ったのかは
あまり記憶に無い。
だが時期的には小学4年以降なのは間違いない。
マルイのP38を持っていたような気がするが、
カラフルなBB弾を小さいビンに詰めて飾っていたのは覚えている。
この頃に読んでいたマンガ、
「究極超人あ~る」(85年~87年)と
87年公開の映画「プラトーン」が一大転機となった。
究極超人あ~るの中で、
部室攻防戦の話があり、これでサバイバルゲームを知り、
プラトーンでヴェトナム戦争のアメリカ軍装備をカッコイイと思った訳だ。
そして、あ~るを共に読んでいた友人とこの
部室攻防戦をまんまパクり、オリジナルのマンガを書こうという話から、
じゃあ、サバイバルゲームをやってみよう!となる。
その時で中学1年の始めで、まだ小遣いもそんなに無かったが、
LSのM16/M203付きとAK74を購入。
近所の雑木林でサバイバルゲームの真似事を始めた。
この時にM16を選んだのはプラトーンの影響なのは間違いない。
その後、仲間が増え駅前にエアガンを扱ってる店があるぜ!
となり、見に行くが高い!!
それでも友人はマルイのMPLのガスガンを購入。
フル/セミ切り替え式で薬莢も飛ばせる銃だった。
これにはエアコキのLS M16では勝てない!
どうしたモノかと思ったが小遣いの前借りを
祖父に打診した所、「何に使うんだ?」
と聞かれ、サバイバルゲームの銃が欲しい!
と素直に話ししたら、思った以上の金を渡された。
金額にして5万円。
そして、JACのAR-18と8リットル可変レギュレーター付きボンベを購入した。
この頃にはサバイバルゲームにドップリで
当初の予定のマンガなどそっちのけで毎週末サバイバルゲームをおこなっていた。
仲間が増えると知識、情報が多く入るようになり、
地元のおもちゃ屋さんのエアガンコーナーの大学生のお兄さん達とゲームしたりしていた。
そして忘れもしない、
88年年末にJACからM16A1が発売。
M16はLSのエアコキ、コクサイのセミオンリー、MGCのパワーの無いモノしかなく、
ようやく、当時のレギュレーションでも見劣りしない
セミ/フルで使えるM16が発売された訳で、
入荷が12月24日の夜と言われて、夜に買いに行ったモノだ。
ただ、命中精度とパワーはコクサイのセミオートM16が上だったと思う。
でもフルートが撃てて、使えるM16は当時JACだけだった。
その頃には地元のミリタリーショップでベトナム装備を買っており、
米陸軍56装備はほぼ揃っている状態だった。
今じゃフルセット集めると結構、値段も張るし、モノが無かったりするが、
当時は実物の56装備が一個500円~1500円程度で売っており、
全部揃えても今ほど掛かる訳では無かった。
そしてその時のモノを今も大事に使っているw
この頃にはJACのイングラム、
JAC UZI、
トイテックのキャリコ、
なども持っていたが、
M16購入後は使用頻度がかなり落ちており、
友人に売ったりしていた。
そして、他の人とやるようになると、
アサヒのFNCやM60などの雑誌でしか観た事の無い銃を持つモノも出始め、
羨望の眼差しで見ていた。
そんなサバイバルゲームの熱が最大に加熱するなか、
地元ショップ主催のゲーム会が開催された。
確か、中高生のみの大会であったと記憶している。
いままで漠然と集まっていたメンバーがこの大会に出る為に
チームとなった。
チーム名は「銃士隊」
元ネタは今はアニメの脚本・デザイン等を担当する
きむらひでふみ氏のマンガ
見参! 銃士隊 サバイバルゲームファイターからパクったw
そんなチームも中学卒業と同時に
おのおの別々の高校に入学する事となり、
自然消滅した。
中学生時代に地元の友人達とチームを組んでから計算すると、
31年やってる計算だ。
一つの趣味をこれだけ長くやっていられるのは幸せな事だと思う。
そんな事を思い出したのでちょっと私のサバゲー遍歴などを書いてみようと思う。
最初にトイガンを手にしたのは小学生の低学年の頃だろう。
私は小学3年まで横浜に住んでいて、その頃に
マスダヤのバッファローデタッチャブルを親戚のお兄ちゃんからもらった記憶がある。
その後にヨネザワのブローニングハイパワーや
ワルサーP38を買ってもらった。
ただこの頃はまだBB弾では無く、つづみ弾だった。
その後、ガンダムブームの頃に
マルシンのビームライフルのモデルガンを買ってもらった。
これが初めての火薬式のモデルガンになった。
BB弾のトイガンは始めに何を買ったのかは
あまり記憶に無い。
だが時期的には小学4年以降なのは間違いない。
マルイのP38を持っていたような気がするが、
カラフルなBB弾を小さいビンに詰めて飾っていたのは覚えている。
この頃に読んでいたマンガ、
「究極超人あ~る」(85年~87年)と
87年公開の映画「プラトーン」が一大転機となった。
究極超人あ~るの中で、
部室攻防戦の話があり、これでサバイバルゲームを知り、
プラトーンでヴェトナム戦争のアメリカ軍装備をカッコイイと思った訳だ。
そして、あ~るを共に読んでいた友人とこの
部室攻防戦をまんまパクり、オリジナルのマンガを書こうという話から、
じゃあ、サバイバルゲームをやってみよう!となる。
その時で中学1年の始めで、まだ小遣いもそんなに無かったが、
LSのM16/M203付きとAK74を購入。
近所の雑木林でサバイバルゲームの真似事を始めた。
この時にM16を選んだのはプラトーンの影響なのは間違いない。
その後、仲間が増え駅前にエアガンを扱ってる店があるぜ!
となり、見に行くが高い!!
それでも友人はマルイのMPLのガスガンを購入。
フル/セミ切り替え式で薬莢も飛ばせる銃だった。
これにはエアコキのLS M16では勝てない!
どうしたモノかと思ったが小遣いの前借りを
祖父に打診した所、「何に使うんだ?」
と聞かれ、サバイバルゲームの銃が欲しい!
と素直に話ししたら、思った以上の金を渡された。
金額にして5万円。
そして、JACのAR-18と8リットル可変レギュレーター付きボンベを購入した。
この頃にはサバイバルゲームにドップリで
当初の予定のマンガなどそっちのけで毎週末サバイバルゲームをおこなっていた。
仲間が増えると知識、情報が多く入るようになり、
地元のおもちゃ屋さんのエアガンコーナーの大学生のお兄さん達とゲームしたりしていた。
そして忘れもしない、
88年年末にJACからM16A1が発売。
M16はLSのエアコキ、コクサイのセミオンリー、MGCのパワーの無いモノしかなく、
ようやく、当時のレギュレーションでも見劣りしない
セミ/フルで使えるM16が発売された訳で、
入荷が12月24日の夜と言われて、夜に買いに行ったモノだ。
ただ、命中精度とパワーはコクサイのセミオートM16が上だったと思う。
でもフルートが撃てて、使えるM16は当時JACだけだった。
その頃には地元のミリタリーショップでベトナム装備を買っており、
米陸軍56装備はほぼ揃っている状態だった。
今じゃフルセット集めると結構、値段も張るし、モノが無かったりするが、
当時は実物の56装備が一個500円~1500円程度で売っており、
全部揃えても今ほど掛かる訳では無かった。
そしてその時のモノを今も大事に使っているw
この頃にはJACのイングラム、
JAC UZI、
トイテックのキャリコ、
なども持っていたが、
M16購入後は使用頻度がかなり落ちており、
友人に売ったりしていた。
そして、他の人とやるようになると、
アサヒのFNCやM60などの雑誌でしか観た事の無い銃を持つモノも出始め、
羨望の眼差しで見ていた。
そんなサバイバルゲームの熱が最大に加熱するなか、
地元ショップ主催のゲーム会が開催された。
確か、中高生のみの大会であったと記憶している。
いままで漠然と集まっていたメンバーがこの大会に出る為に
チームとなった。
チーム名は「銃士隊」
元ネタは今はアニメの脚本・デザイン等を担当する
きむらひでふみ氏のマンガ
見参! 銃士隊 サバイバルゲームファイターからパクったw
そんなチームも中学卒業と同時に
おのおの別々の高校に入学する事となり、
自然消滅した。